『私』は今年で59歳になります。なんと来年は5回目の年男になるのです。
今までの『私』の人生で一番長く時間を過ごしているのは『おかみさん』になります。
15歳の時に親元を離れてこの仕事に入りましたから、自分の母親よりも『おかみさん』と一緒にいる時間の方が長くなりました。同居でもしない限りは何時か母親や父親よりも長く人生の時間を一緒に過ごすのは結婚をした相手となるんだと・・・・(笑)。
『みみちゃん』は『私』の人生で『おかみさん』の次に長い時間を一緒に過ごしてきた大切な家族です。
19歳と5カ月だとばかり思っていましたが、しっかり調べてみたら20歳と3カ月だと言う事が判りました。人間で言えば100歳近くになります。
『みみちゃん』は、ある日『にゃご』が咥えて拾ってきた子猫でした。これが今から20年も前の話しです。『にゃご』は、避妊手術をしてありましたから、もちろん自分の子ではない訳です(笑)。
『にゃご』の部屋の中を覗いてみると、おっぱいも出ないのにお乳を吸わせてすっかりと親猫気取りでした。
当然そのままって言う訳にはいかないので『おかみさん』が面倒を見ることになってしまって(笑)『貴田乃瀬』の子になりました。
血がつながっている訳でもないのに、おっぱいをもらった訳でもないのに『みみちゃん』は『にゃご』の事をすっかり母猫だと思い込み(笑)どこに行くにも『にゃご』と一緒でした。
『にゃご』の事が大好きで大好きで・・いつもそばにぴったりと張り付くようにして暮らしていました。
『にゃご』の後ろについて・・『にゃご』の行くところならどこまででも一緒でした。穏やかな性格の子でしたが『にゃご』が亡くなってか一人になってからきつい性格の子に代わってしまいました。
『にゃご』が亡くなったときに2階で一緒に暮らすようにするべきでしたが、その時2階には『にゃーにゃ』と言う先住猫がいて・・性格がうまく合わなくって・・。『みみちゃん』は倉庫のゲージで暮らしてもらうことになりました。
『にゃーにゃ』も亡くなって、さて『みみちゃん』を2階へ・・と思ったのですが、すでに倉庫のゲージ生活が慣れてしまったようで、嫌がるばかりで・・『よしこ』と言う子を2階に上げたこともあったのかもしれません。
『みみちゃん』は、とても甘えん坊で(笑)愛情を独り占めしたい子で(笑)自分の時間をとても大切にする子でした。
『みみちゃん』は一年中毛を好いてもらうことが大好きでした。『みみちゃん』の毛玉でサッカーボールが出来るくらいにすいたんじゃないでしょうか(笑)。ゴロンと横になって『こっち側をすいて・・終わったら今度はこっち側ね』と『私』に指示を出すんです。
背中をマッサージしてもらったり、耳を触ってもらうのも大好きでした。一晩中マッサージされていてもいいらしく『そろそろいいんじゃないの?』って聞いてみてもすぐには許してくれないんです。
『みみちゃん』には彼女だけの時間があったらしく『なんで今頃ご飯なの?』とか『どうして今日はこんな時間に甘えてくるの?』と思うことが多かったのです。ほかの子(猫)達は、決まった時間に食事をとって、同じように窓際に座って日向ぼっこをしたりするのですが、その子たちとは全く行動が違いました。
食べたいときにご飯を食べて眠たい時に眠る(笑)結構な自由人です。
『みみちゃん』がまだ若かったころは、多少雨が降っていても一日一回の巡回がありました。ほぼ必ず『花徳』さんの駐車場の車の下に出かけていき、冬の寒い時には『花徳』さんのお店の中に入り込んでストーブの前で暖まっていたり(笑)夏の暑い時には、花の入っているガラスのショーケースの中で涼ませてもらったりして(笑)ご近所でも人気者でした。
『みみちゃん』は少なくとも『私』が知っている猫の中では小さな方で2キロちょっとしかありませんでした。
『よしこ』や『サキちゃん』と比べても一回り以上も小さくって・・。小さくっても自己主張がちゃんとあって、本当は甘えん坊で、抱っこが大好きで・・フワフワの子でした。
仕事が終わった後『私』がパソコンをいじっていると『私』の膝の上でずっと寝ている子でした。わがままいっぱいですけど(笑)。
人間で言うと100歳近くにになり、当然のように思うように動くことが出来なくなってきました。昨年の8月ごろから体調を崩しました。9月には『サキちゃん』が急性白血病でたった2週間で逝ってしまい、8月から9月にかけての二カ月は『みみちゃん』と『サキちゃん』を一緒に病院に連れて行き、それぞれを介護すると言うハードな日が続きました。
『サキちゃん』が逝った9月の末ぐらいからは、自分で食事をとる事がうまく出来なくなってきました。『おかみさん』は注射器の先にゴムのチューブがついたものを支度して、嫌がるのですが強制的に(笑)ご飯を食べてもらってきました。
もし・・『おかみさん』がこの方法を取らなかったら『みみちゃん』は半年以上も前に亡くなっていたと思います。今年に入ってからは、一回にとれる食事の量が極端に減ってきたので回数を増やす粉にしました。
一度にたくさんの量が取れずに、時間をかけないともどしてしまうので・・一回の食事の時間は1時間ぐらいかかりました。
『おかみさん』は自分の睡眠時間を削れるだけ削って・・一日に何度かに睡眠時間を分けてここ半年を過ごしてきました。
『私』は『おかみさん』のように『みみちゃん』にしてあげることが怖くてできなかったんです。『私』にできたことなど・・本当に何もありませんでした。
言葉を使うことが出来ない分だけ『みみちゃん』の顔色を見ながらの毎日でした。『みみちゃん』の体調」と相談しながら食事をどれくらいの量にするか・・・おかみさんはカロリー計算をしていました。
人間でも同じでしょうが、加齢からくる体調の低下はどんなことをしても元には戻りません。『みみちゃん』の体重はどんどん減って行って、今月初めには1・3キロ切ってしまいました。ガリガリに痩せて頭の骨やら腰の骨の形が触らなくても外から分かるくらいになってしまいました。
いつもバスタオルにくるまれて赤ちゃんのようになってご飯をもらうのですが、もうお地蔵さんみたいです。目も真ん丸で真っ黒になって(笑)つぶらな瞳って言うのはこんな目の事を言うのだろうと思いました。
綺麗で・・何も嘘のない澄んだ目をしていました。首をふりふりしていやいやをしながらご飯をもらうのですが、そのきれいな目が『私』の目に焼き付いています。
可愛くて、可愛くって・・何物にも代えることが出来ないくらいに大切なみみちゃんが亡くなりました。
連休に入る前の月曜日ぐらいから急に体調が下がり始め・・ほぼ食事もとらなくなりました。病院の先生は『お家でゆっくりと過ごさせてあげてください・・よく頑張りましたね』と言われて(ありがとうございました)帰ってきたその日の夜から危篤状態に落ちました。
もうダメなんだろうと・何度も何度もお別れを言って・・激しかった呼吸がだんだんとゆっくりなってきて・・覚悟を決めたのですが、そこから昨日まで二日間・・また持ち直してくれました。
ほんの少しですが食事もとってくれて、水も飲んでくれて・・最後の最後まで自分でトイレに行って・・。
体調を崩した連休前は普通に営業をしていましたから、お店を開けるときに『お父さんとお母さんの仕事が終わるまで待っててね』って約束をして・・階段の所に『みみちゃん』のベッドをもってきて仕事の途中も覗けるようにしていました。
何とか連休に入ることが出来て『おかみさん』も『私』もこの分なら連休中は大丈夫だろうと思って3日の日の夕方食事に出かけて・・もちろん心配でしたが、比較的に体調がよさそうな感じだったので今なら・・って思って出かけたんです。
家に戻って『おかみさん』がご飯をあげようとして・・すぐでした。待っていてくれたんだと思いますが・・あっと言う間でした。もう、頑張るだけ頑張ったので『なんで?』なんて思うこともなく。ただ『ご苦労様でした・・ありがとうね』と言うだけでした。
『にゃご』や『サキちゃん』や『よしこ』・『ぼくちゃん』・『にゃーにゃ』20年間の間に先に行った子達が勢ぞろい出迎えに来ているみたいで。
にぎやかに連れて行ってもらったんだと思います。
連休中に書こうかと思いましたが(この文章のほとんどは5日の日に書いていますが、後半は書けずに今日・・5月9日火曜日に書いています)どうしても書けずに・・・。
それでも『みみちゃん』の事をずっと心配してくださっていた方がたくさんいらっしゃいましたので、ご報告だけはと思い・・今日、何とか書き上げることが出来ました。
昨年末から『みみちゃん』の具合が悪いことを心配してくださったたくさんの皆様。5月3日の夜、眠るようにしてみんなの待っているところへ行きました。
一つだけ・・以前もこのブログに書きましたが『私』と『おかみさん』が愛猫を亡くしたからと言って『貴田乃瀬』の玄関に『子猫』を捨てるのだけはやめてください。『私』達は自分で見つけてきますから。
ご自分が面倒見切れなくなった『子猫』を人に押し付けるのは止めてください。
『みみちゃん』のお別れをお知らせする文章の最後にこんなことを書かなくてはいけないのは、本当につらいのですが・・『猫』達を取り巻く現状はこんなものです。
最後に・・ご心配頂きました皆様・・本当にありがとうございました。